山岳保安庁ができない理由

 ウチの顧問は結構ノー天気なもので、「山岳保安庁を作れ」などと言う。

 リアリストの私は「そんなのは無理」と申し上げている。

 なぜか。

 答えは簡単、日本には「山岳地帯に国境がないから」である。

 国境を守る必要があるから海上保安庁は絶対必要な国家組織なのだ。

 国境がない山に「保安庁」なんぞ作る必要はない。

 と政治家は当然考える。

 国民の賛同も得られない。

 「そんな金があるなら、こっちに回せ」と言うゼネコンやらグローバル企業やらの機嫌をとったり癒着したりしている政府に「山岳保安庁を作れ」と嘆願するなんざ笑い話もいいところである。

 かたや、山岳地帯に国境がある国々(イタリア、フランス、ドイツ、オーストリア、スベインその他多くのヨーロッパ諸国)では、当然のことながら紛争も山岳地帯が中心になってきたから、登山技術はすなわち国防の要諦であった。

 軍隊といえば山岳地帯で活動するものだった。

 そりゃ登山技術も研究するし、道具も発明するし、実験したり試験したりして認証マークなんかも作りますよ。

 トレーニングだってバンバン推奨しちゃう。

 山岳関連の教育機関や救助組織なんかも発展する。

 国家組織なんですから。

 山岳地域でドンパチやってきた国民には、登山が文化として根付くわけですよ。

 生きるか死ぬか、領土をとるか取られるか、の重要問題であり続けてきたのだから。

 一方、日本と同じ島国の大英帝国の場合は事情が少し異なる。

 この国の人々は大半がバイキングの子孫で、DNAのなかに「移動」本能が組み込まれている。

 さらにイングランドもスコットランドもウェールズもアイルランドも低山しかないのに、日本にはないような岩石組成の山々が横たわり、ほんの数百メートルの高さの「丘」ですらスクランブリングという登山スタイルで踏破しなければならず、それにはいわゆるトラッドクライミングと呼ばれる登山技術が必要となる。

 国内でそうした事情があるのに加え、移動本能のおかげで、船を漕いであちらこちら征服しに出かけまくった国民性ゆえ、出かけた先で冒険しまくることにもなった。当然ながら、出張って行った先でも登山技術を磨く必要がある。

 大英帝国が没落してからも、移動本能は健在で、植民地の代わりに「未踏峰」を制覇し始めた。

 こっちの方が植民地建設なんかよりも人道的っぽいし、偽善的な人間性には十分アピールしたに違いない。

 かくして、かつての栄光をかさにきて、彼らは登りまくった。

 こんな歴史的背景なんか日本人はすぐに偶像化するから、高尚なる精神の現れだと勘違いしたに違いない。

 我が祖先は純朴なので、こうしたイギリスをはじめとするヨーロッパ人の登山スタイルを崇め奉り、一生懸命取り入れた。

 歴史的必然、社会と文化のコンテキストなんか一顧だにせず、高邁な精神性だけをみようとしてきた。

 はい、その結果、どうなりましたか。

 ここまで読んで頂いたらおわかりのとおり、浅知恵で登山を引っ張ってきた先人たちのおかげで、日本の山は金銭で代替できる関係で登山を考える人たちで溢れかえるようになった(・・・というのは今回のポイントではない、テーマは別にある)。

 かたや、本家本元の旧植民地宗主国はどうしたか。

 彼らは自分たちのしてきたことが偽善だということはもちろんわかっている。

 植民地で世界各地に爪痕を残してきたことも自覚しているし、資本の蓄積は植民地ゆえに可能になった(植民地経営による資本蓄積がない日本は、どう頑張っても太刀打ちできない)。

 自覚しているけれど、植民地からの「アガリ」は捨てがたい。いまだに旧植民地からの経済搾取でほとんどのヨーロッパ諸国の財政は潤っている。(これはまた別の話。そのうち書きます。)

 それでもそんな事実は見て見ぬフリできるのではないかと「精神性」という隠れ蓑に頼ることにした。

 でも、20世紀後半になって全部バレる時代がやってきた。

 パラダイムシフトしちゃったから、歴史を記す主体が複数現れてしまい、白人ヨーロッパ中心主義が脱構築されてしまったのである。(この辺り理解できない人は直接聞いてね。)

 そんな中で、西欧では登山活動を政治や戦争や紛争から切り離し「文化」として昇華したがゆえに、歴史的負の遺産を背負わせることなく、なんとか隘路を生き抜くことに成功した。その上うまい具合に、登山にまつわる国家組織は残すことに成功した。だから、今でも登山活動を国家と政治がしっかりとバックアップしている。

 お手本に倣い、日本もこのスタイルをまねることにした。だが、もちろん、歴史事情なんて考慮せずに表面的な真似っこだから、当然登山活動の組織化なんてされるはずがないし、第一に組織化する意義が切実ではない。

 だって、あいつらは自分たちの歴史的悪行を昇華する隠れ蓑に高邁なる精神性を登山にかぶせてるんだよ。どれだけ必死なことか。そりゃ、団結するわね。団結して登山界を盛り上げていかなければ、いろんな不都合な真実が暴露されるもの。

 日本人はそこまで頭が回らない。

 その上、山岳地帯に国境はないし、移動本能のDNAも埋め込まれていない。登山文化の根の浅さはここにある。

 だから、登山界はまとまらない。

 というわけで、当分のあいだ、(悲観的に考えると永遠に)山岳ガイドの国家資格化はされないものと考えられる。

 山岳保安庁も絵にかいた餅。

 いいアイディアだとは思うけど、インフラがないんだから、実現不可能でしょ。

 さて、ここまで赤裸々な背景説明をしてきたのには理由がある。

 この記事のタイトルは「山岳保安庁ができない理由」であるが、隠れたテーマは「日本にMLTが根づかない理由」でもある。

 MLTとはMountain Leader Trainingすなわち山岳リーダー養成講座である。

 MLTについては10年前に労山が創立50周年事業として国際山岳連盟の Steve Longを招いて日本各地で講演をしてもらった。

 長くなるので、詳細は次回に回そう。

 次回も長いよ!

ノースウェールズでSteve Longと登る
ノースウェールズでSteve Longと登る