クライミングの大衆化

登山、特にハイキングは大衆化が早かった。階段を登れれば、誰にでも始められる楽しい余暇活動である。
 しかし、クライミングはそうではなかった。なかなか敷居が高く、手軽に始められない野外活動だった。特にアルパインクライミングは、知識、技術共に、活動の質も量も大きく飛躍する。
 だが、スポーツクライミングとインドアジムの登場により、クライミングの大衆化も進み、その余波でアルパインクライミングへ移行したいと考え、参入してくる人が増え、アルパインにも大衆化の波が押し寄せてきた。スポーツクライミングとアルパインクライミングの違いもわからず、フリークライミングの哲学とアルパインのセオリーが理解できないケースも増加した。
 大衆化と共に、アクセスが難しい活動をメインにしている山岳会に入ろうとする人たちの気質も変化してきているようだ。
 一言でいえば、人間として信頼できないタイプの行動を平気でしておきながら、何が悪いのかわからない、という人が増えた。例えば、ガイドさんたちのホームページなどを見ていても、これまではキャンセル料を設定していなかったけれど、目に余るドタキャンが増えたので、不本意だけどキャンセル料を設定します、などの告知がされていたりする。おそらく、あまりに安易なドタキャンが増加し、対策せざるを得なくなったのであろう。
 たいした理由でもないのにドタキャンして平気な人はたいていアルパインやクライミングの世界には入ってこなかったし、入ってきても淘汰されてしまい、活動を続けられなかった。しかし、時代が移り、技術はネットで学べるし、仲間もSNSで作れるし、クライミングもインドアジムで練習できる、となると、かつてはよほどの覚悟がないと参加しづらかったアルパインクライミングの世界にも大衆化の波が押し寄せてきたのであろう。
 だから、山岳会にも以前は考えられなかったような、人間として信頼できないタイプの人たちがやって来るようになった。それと同時に、山岳会自体も変容していった。
 まず、山岳会の中でも、自前の教育システムを持たなくなり、山行管理もおざなりになる会が多くなった。計画は多くでるけれど、たいてい同人化していて仲間内で計画が立てられるので、固定化している。会員のほうも、たいした理由でもなく、あるいは嘘をついてドタキャンする、食料担当になってもまともに栄養素も考慮できない、停滞や転進に耐えられない、リードはしない(できない)、貢献はしないのに要求はする、個人の自由などの主張はするがセットで考えるべき他人への配慮はない、敗退やキャンセルの言い訳に膝が痛い、テントが不具合などというが、実は痛くも悪くもなく、平気で嘘をついていた、自分の物覚えの悪さを指摘されて逆ギレする、アドバイスをまともに聞かない、など、およそ人間としてどう信用できるのかと疑問に思わざるを得ないタイプが目立つようになった。
 こういうタイプの、信頼できない人たちは一年未満であちこちの山岳会を渡り歩く、という特徴がある。たいてい言うことは同じだ。「あの会にはアルパインをしている人がいないから」「あの会では自分のしたいことができない」など。よく聞いてみて、なるほど、と思えるケースはそうは多くはない。だいたい、山岳会は横のつながりがあるので、情報は筒抜けのため、おおよその情報は共有される。渡り歩く方はネットで調べては山岳会をホッピングすればいいと考えている。
 ところが、アルパインクライミングは、なかなかデジタルIT化が馴染みにくい活動である。まず最もデジタルIT化できないのが人間関係である。人間として信頼できないタイプの人たちは人間関係をまともに構築できないから、いくら山岳会を渡り歩いても、本人が信頼されないわけだから、信頼できる人と、巡り合える確率は非常に低い。巡り会えた、と誤解するような関係ができた、と錯覚はするかもしれない。しかし、アルパインの極限事態にそうした人間関係の脆弱性が浮き彫りとなり、空中分解する、というパターンが多い。
 次にアルパインクライミングでデジタルIT化ができないのは、ルート判断、行動判断である。天候、自然現象、季節、気温、経年劣化、パーティー構成、体力など人的諸要素、考慮しなければならないエレメンツが多岐にわたり、熟考を要したり、時には経験に基づき、瞬時の判断が求められたりする。
 アルパインクライミングで人間として信頼できない人とパーティーを組む危険性はとても大きく、まともな山岳会では技術レベルを測りながら、人間性を見極めていることが多い。とても一回や二回、山行を共にしたくらいでは測れない。最低3年くらいをかけて見極めていく必要があるので、一年未満であちこち渡り歩く人はたいていどこに行っても信用されていないのだな、と思われることが多い。
 当会でも、よくある質問に、「会員以外の人と山に行ってもいいですか?」というものがある。以前は考えられなかった質問である。これは山岳会を単なる便利な集団、無料で技術を教えてくれてガイドに頼むと高い料金のかかるルートを登らせてくれるグループ、仲良しクラブの延長でなにをしても許される、と捉えているから出てくる質問であろう。

 回答としては、当会ばかりでなく、原則として山岳会は会員以外の方との山行を禁止している、である。当会では相互承認できる山岳会には同時在籍が可能なので、実際は規則は緩いほうである。ただし、アルパインクライミング中心の会では、ネットの集まりとは違って、遭難対策という機能がある。救助捜索にスムーズにつなげたり、場合によっては会員が救助捜索に入ることもある。一旦事故となると、同じ会の会員同士のパーティーであれば、この連携が問題なく行われるが、相互承認の取れない他会のメンバーと一緒だと遭難対策体制の違いから軋轢が生じることもあり、法的な問題に発展する可能性もある。

 また、遭難しないまでも、遭難の一歩手前、緊急ビバークという極限事態になることはアルパインではよくあることだ。そうした事態になった時に、バックアップ体制がとれているのといないのとでは大きく事態の推移が変わってくる。いうまでもなく、遭難対策と安全管理上の対策がとれている山岳会であればいざという時でもしっかり支えてくれるし、的確な対応をしてくれる。そのための訓練をしたり、指示も常日頃聞かされている。ネットの繋がりや形骸化した山岳会にはこうした機能はない。

 しかし、一般的に山岳会を便利な面だけ利用しようという、人間として信頼できない人には、こうした側面が理解できない。そんな面倒なことを言われるのであれば、山岳会なんか入らなくてもいい、と思っていても、では、自力でアルパイン技術が身につけられるかといえば、それは結構難しいという事実に直面する。それならガイドにつこうと思うと、思っていたよりお金がかかるし、それなら適当なことを言って山岳会に潜り込んで技術講習だけしてもらってあとは勝手に友達と計画を立てられればいい、と考える人が出てくる。ここでも、人間として信頼できない人たちが増殖する。そうした行動は身勝手だと思わないのか?そんな身勝手な人が仲間の安全を本気で考えてくれるだろうか?口先ではいいことをいくらでも言えても、それが行動に結びつくとは限らない。

 実際、入会希望者で、ジムで知り合った他の山岳会所属の「上級者」の方から「うちの会では初心者を教えないから、初心者用の会に入って技術を教えてもらってきたら一緒に行ってあげられる」と言われたから当会に入りたいという人がいた。山岳会には「上級」も「下級」もなく、単に危機管理をする会としない会、メンバーの技量を考慮する会としない会、教育力のある会とない会、メンバーを育てられる会と育てられない会があるだけだ。自分たちでパートナーを育てられないのに、危険の制御ができるわけがない。たとえ当会で技術を身につけたとしても、他会会員との計画は当会に貢献がなければ認められないし、逆に考えれば、相手は、ジムでたまたま知り合ってしまったけれど、アルパインは誰にでもできる活動ではないので、その人をとても自分の会には入れられないから、苦し紛れにお断りのつもりで言ったのかもしれない。言われた方は、コミュニケーションがとれず、空気が読めず、言われた通りに講習してくれそうな山岳会を探したのかもしれない。

 また、アルパインはハイキングとは異なり、誰にでもできる活動ではない、ということが理解できず、この会ではコミュニケーションが取れないから、と山岳会を転々と渡り歩く人も多くなった。その場合は一刻も早く自分の生き方を振り返る必要があるかもしれない。アルパインの山岳会で適切に人間関係が築けず、コミュニケートできなければ、自分も相手も危険に晒すことになる。

 アルパインをしている人がいないから、と言う理由で山岳会をいくつも渡り歩く人にもよくよく注意が必要で、よく話を聞いてみると、決してその会にアルパインをする人がいないわけではなく、仲間に入れなかった、あるいは仲間として認めてもらえなかったというだけのことが多く、ハイキングしかしない会だった、というわけではないケースが多い。総合山岳会で仲間として認めてもらうには、それなりの道筋があるもので、結局、自立して登ろうという気持ちは持っていないため、他力本願で、すでに自立して活動している人を見つけては登らせてもらおうとするのだが、いくら山岳会を渡り歩いても、その人に会での貢献があり、自立した実力がない限り、「自由な」会では誰もパートナーにはしてくれない、という事実に行き当たる。それよりも、自分でしっかりした技術と経験を積んで、危険を制御する方法を身につけて仲間と共に育っていこうという方向性を持つ方が生涯の友と出会える確率が高い。

 技術だけ当会で伝達してもらい、自分が後輩に伝達するのは面倒だしイヤだから、楽しい計画は他会の人と立てたいと考える人、あるいはそういう行動をしてきた利己的な人とパートナーになりたいと、誰が望むだろうか?そういう人の本質は変わらないので、いくら山岳会を渡り歩いても真のパートナーには巡り会えないだろう。

 最近は縛りのない「自由な」山岳会も増えた。そうした会では、遭難対策や山行管理は行われておらず、技術を伝達してくれることも、丁寧に講習してくれることもないが、自由に行動したいのであれば、そうした会を選択すればよい。自由な会でなぜ講習してくれないかと言えば、その会に残る可能性がないのに無駄なことをしても意味がないからなのだが。

 クライミングの大衆化は確かにアルパインへの間口を広げた。だが、まず第一に人間として大切なものを最重要視する活動である、というアルパインクライミングの本質は変わらない。それは相手に命を預け、相手の命を預かる活動なのだから、当然といえば当然なのである。そして信頼関係を築くには長い時間がかかるが、壊れるのは一瞬である。

 信頼できなくなった人間とはロープを組まない。これはアルパインクライミングの鉄則である。